ふと思っただけで根拠は無い事。
三国魏の明帝の後を継いだ曹芳(斉王芳)については、実子ではないが由来は不明であるという旨が『三国志』に記されている。
裴松之注が引用する『魏氏春秋』には「任城王の子って言ってるヤツもいる」と書かれているが、良く考えてみるとこれは『魏氏春秋』からしてその信憑性を保留しているのではないだろうか。
で、もしかするとだが斉王芳たちは明帝が官婢か何かに産ませた私生児で、それまで実子扱いはされていなかった、みたいなことだったりしないだろうか。
正式に皇子扱いした赤子は全員死んでしまったため、私生児扱いであった子を皇子扱いすることになった・・・みたいなね。
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20150502/1430494208みたいな例も一応あるようだし。
繰り返すが根拠は無い。
そうだったら面白い、程度のアレである。