(王莽)嘗私買侍婢、昆弟或頗聞知、莽因曰「後將軍朱子元無子、莽聞此兒種宜子、為買之。」即日以婢奉子元。其匿情求名如此。
(『漢書』巻九十九上、王莽伝上)
若き日の王莽はかつて婢女を買い求めたが、親類たちはそのことを耳にした。
つまり、「王莽のヤツも、真面目ぶっているけどやはり男ってことだな」などと噂されそうになった(というか噂された)ということだ。
周囲が贅沢三昧、僭上の沙汰もやりほうだいという外戚の中にあってただ一人折り目正しい儒者というのを売りにしていた王莽としては、これは大スキャンダルになる可能性があるのである。
親類たちというのは一族であると同時に最高権力者の座を狙うライバルでもあるので、他の親類に知られるのが一番マズイのである。
そこで、王莽はこう弁明した。
「この婢女は子供を産みやすいと聞いて、まだ後継ぎがいない朱将軍(朱博)に進呈しようと思ったのですよ」
そしてその婢女を朱博に実際に進呈したのであった。
王莽は、スキャンダルの危機を逆に「他の人の後継ぎを心配までするぐう聖」と印象づけるのに利用したということである。
これは方便であったが、この弁明からは後継ぎがいなくて困っているような者は、婢女に子供を産ませて後継ぎを作ろうとすることもあったのだろう、ということが推測できるかもしれない。
他に子がいないなら、嫡庶の問題は生じないのだろうし。
ちなみに王莽が身分の低い女性に子供を産ませたけど認知しないでいたことは以前紹介した。
王莽の場合、正妻との間に子がいたということも認知もされないでいた一因かもしれない。