『潜夫論』を読んでみよう−実辺篇その1

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140919/1411055794の続き。



今度は辺議の次、実辺。



夫制國者、必照察遠近之情偽、預禍福之所從來、乃能盡群臣之筋力、而保興其邦家。
前羌始叛、草創新起、器械未備、虜或持銅鏡以象兵、或負板案以類楯、惶懼擾攘、未能相持、一城易制爾、郡縣皆大熾。及百姓暴被殃禍、亡失財貨、人哀奮怒、各欲報讐、而將帥皆怯劣軟弱、不敢討撃。但坐調文書、以欺朝廷、實殺民百則言一、殺虜一則言百、或虜實多而謂之少、或實少而謂之多。傾側巧文、要取便身利己、而非獨憂國之大計、哀民之死亡也。
(『潜夫論』実辺第二十四)


一国を統制する者というのは、遠近の物事の事情や虚偽を推察し、禍福が由来することについて事前に見通している必要がある。そうであれば群臣が力をつくし、国を保ち勃興させることができるのだ。




先に羌が反乱を起こした時、羌は挙兵したばかりで武装も揃わず、銅鏡を武器に見立てる者や、机の板を背負って盾にする者もいたほどであったが、城を守る者は恐れおののいて耐え切れず、一つの城が落ちると郡県中に勢いが広まったのであった。




民は禍を蒙り、財産を失った怒りから復讐しようという戦意に満ち溢れていたが、将帥は皆軟弱者で攻撃しようとしなかった。



彼らはただ文書を発し、実際には百人の民が殺されているのを一人と報告し、あるいは一人しか羌を殺していないのに百人倒したと報告し、あるいは羌の反乱者は実際には多いのに少ないと言ったり、実際には少ないのに多いと言ったり、朝廷を欺くばかりであったのだ。



こういった悪巧みは自分の利益のためであり、国家の大計や民の命を考えての事ではないのである。



篇が変わっても王符先生の告発は続く。




王符先生によれば羌の反乱当初は羌も貧弱な装備であったが、惰弱な守将や将帥のせいで被害を拡大し、失地回復もできなかったのだと断ずる。



しかも、彼ら惰弱な連中はあまつさえ朝廷をたばかり、自分たちの都合のいいように文書改竄までしていたというのだ。






http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140910/1410277858で紹介した『後漢書』西羌伝の内容はもしかして『潜夫論』から取っているのだろうか?

それとも各所で出てくる有名な話だったのだろうか?