『潜夫論』を読んでみよう−辺議篇その1

http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140909/1410190040の続きのようなもの。



『潜夫論』の救辺篇の次の篇に当たる「辺議」を読んでみる。



明於禍福之實者、不可以虚論惑也。察於治亂之情者、不可以華飾移也。是故不疑之事、聖人不謀。浮遊之説、聖人不聽。何者?計不背見實而更爭言也。是以明君先盡人情、不獨委夫良將、修己之備、無恃於人、故能攻必勝敵、而守必自全也。
羌始反時、計謀未善、黨與未成、人衆未合、兵器未備。或持竹木枝、或空手相附、草食散亂、未有都督、甚易破也。然太守令長、皆奴怯畏偄不敢撃、故令虜遂乘勝上彊、破州滅郡、日長炎炎、殘破三輔、覃及鬼方、若此已積十歳矣。百姓被害、訖今不止、而癡兒騃子、尚云不當救助、且待天時。用意若此、豈人也哉?
(『潜夫論』辺議第二十三)


禍や幸福の真実を知る者は、虚妄の議論に惑わされたりはしない。世が治まったり乱れたりする事情に通じる者は、飾りだけの言葉に心移りしない。



聖人は疑う余地もないことならば迷わないし、浮ついた話なら聞き入れないのだ。



現実を見ずに論争したりはしないのである。




明君であればまず心を尽くして良将だけに任せたりはせず、自分の防備を固めるにも他人をあてにしたりはしない。


だから攻めれば必ず勝ち、守れば失わずに済むのである。




羌が反乱したばかりの頃は、戦略も良いものではなかったし、軍勢も少数であり、武器も少なかった。



最弱の武器であるたけざお装備や装備無しで戦い、草を食べて生き延びる有様であり、軍勢をまとめる司令官もいなかったので、倒すならこの時が絶好の機会であったのである。



だというのに当時の郡太守や県の長官は臆病にも攻撃しようとせず、そのために羌は勝ちに乗じて州郡を荒らしまわり、日々勢力拡大して三輔をも侵略し、北方の異民族にさえ及び、これが十年以上も続いたのである。




人々の被害は今でも止んでいないというのに、クソバカヤロウどもはいまだに「救助すべき時期ではない。天の時を待つべきだ」などと言っている。




辺境に心を向けるのがこの程度であるとしたら、これはまともな人間と言えるであろうか?



「不當救助、且待天時」と言っているというのは明らかに朝廷の大臣や論者たちを指している。



王符先生はまたも羌に対して惰弱であった涼州の長官達と、事前の用意も救いの手も怠っている朝廷を痛烈に批判する。




「癡兒」「騃子」はどちらも「愚かな子供」ということであり、大臣やら朝廷の論者やらを指す言葉としてはかなり厳しいものであり、ヘタをすればこの文は朝廷への誹謗と取られてジェイル送りになりかねなかったのではなかろうか(だから書中では「潜夫」などという偽名を名乗っているのかもしれない)。



それくらい、王符先生は本気で怒っているのであろう。