長安侯と魯公

項羽長安侯、號為魯公。
(『史記』巻八、高祖本紀)

始、楚懷王初封項籍為魯公、及其死、魯最後下、故以魯公禮葬項王穀城。
(『史記』巻七、項羽本紀)



ふと思ったんだが、楚王になる前の項羽には「長安侯」と「魯公」という二つの爵位らしきものが確認できる。





「魯公」について死後の葬礼の話を見ると、実際に魯の君主として封建されていたように思われる。



ということは、実際に封建された領土などを示すのは「魯公」ということだ。




長安侯」はどういう意味合いの号だったのだろうか。

領地のことではないっぽい気がしないでもない。




劉邦の「武安侯」と同じカテゴリーの、領土と関係ない称号とかなのだろうか*1

*1:もっとも、「長安」も「武安」も地名としてもありうるので領土と関係ないとも言い切れない。