朱霊の領地と曹丕の計らい

九州春秋曰、初、清河季雍以鄃叛袁紹而降公孫瓚、瓚遣兵衛之。紹遣(朱)靈攻之。靈家在城中、瓚將靈母弟置城上、誘呼靈。靈望城涕泣曰「丈夫一出身與人、豈復顧家耶!」遂力戰拔之、生擒雍而靈家皆死。
(『三国志』巻十七、徐晃伝注引『九州春秋』)

後漢末・三国時代曹操の将であった朱霊は、自分の故郷「鄃」を攻めることになり、母を始めとする家族を人質に取られたが降伏せず、結局その家族が殺されるハメになった。



魏書曰・・・(中略)・・・文帝即位、封(朱)靈鄃侯、増其戸邑。・・・(中略)・・・靈謝曰「高唐、宿所願。」於是更封高唐侯。
(『三国志』巻十七、徐晃伝注引『魏書』)

その後、曹丕即位後に曹丕は恩賞として朱霊を列侯とすることになり、故郷である「鄃」の侯にしてやろうとしたが、朱霊は断った。

母を見殺しにした悲しみの地ということで嫌がったのかもしれないし、故郷にまだ残っていたであろう生き残った親戚や知り合いの恨みのこもった目が痛くてとても耐えられなかったのかもしれない。
彼が降伏していればみんな助かったのであるから。



曹丕は朱霊の故郷を巡る事件を知ったうえで故郷に封建しようとしたんだろうか。だとしたらぐう畜。