楷書を学ぶということ

韋仲將能書。魏明帝起殿、欲安榜、使仲將登梯題之。既下、頭鬢皓然、因敕兒孫「勿復學書」
(『世説新語』巧芸)


魏の韋誕は韋端の子、韋康(馬超にヌッ殺された涼州刺史)の弟。
そしてこの時代ではかなり知られた能書家であり、楷書の名手だった。

宮殿の高所に掲げられる題字は楷書で書くものだったらしく、その多くが彼の手によるものだったそうだ。



そんな彼は魏の明帝が宮殿を作った際、その宮殿に掲げられる題字を書いた。


梯子で登らされて。



高所に登って題字を書くというムチャ振りを強要された韋誕は降りてくると頭が真っ白になっていたという。

おそらく、兄が馬超と闘っていた時にも似たストレスと恐怖を味わったのだろう。
それくらいの危険な高所作業だったのである。


そして彼は子孫に対して「書を学んじゃダメ!ゼッタイ!」と命令し、子孫がこのような目に遭わないようにしたのだった。