韋康の子孫

晉韋昶字文休、仲將兄康字元將涼州刺史之玄孫。官至潁川太守散騎常侍。善古文大篆及草、状貌極古。亦猶人則抱素、木則封氷、奇而且勁。
(唐・張懐瓘『書断』列伝)

東晋の時代に韋昶、字文休という書家がいたそうな。




彼はどうやら韋仲将すなわち三国時代の書家で畜生のライバルだった韋誕と同族。



韋誕の兄である韋康、あの曹操の援軍が来ずに馬超に降伏したが殺された涼州刺史韋康の玄孫なのだという。




子孫がいておかしなことは何も無いのだが、哀しい最期となった韋康の子孫からこういった人物が出るというのは中々に感慨深いものである。





なお韋誕は子孫に対し「書家になるな」と命じたと言われているのだが、弟ほどではないがやはり能書家でもあった兄韋康はおそらくそんな訓戒はしていなかっただろうから、韋誕の訓戒に関係なく韋昶は書家となったのだろう。