大逆と連坐

(孔)光久典尚書、練法令、號稱詳平。
時定陵侯淳于長坐大逆誅、長小妻廼始等六人皆以長事未發覺時棄去、或更嫁。及長事發、丞相(翟)方進・大司空(何)武議以為「令、犯法者各以法時律令論之、明有所訖也。長犯大逆時、廼始等見為長妻、已有當坐之罪、與身犯法無異。後乃棄去、於法無以解。請論。」
光議以為「大逆無道、父母妻子同産無少長皆棄市、欲懲後犯法者也。夫婦之道、有義則合、無義則離。長未自知當坐大逆之法、而棄去廼始等、或更嫁、義已絶、而欲以為長妻論殺之、名不正、不當坐。」有詔光議是。
(『漢書』巻八十一、孔光伝)

前漢後期の名臣、孔光。孔子の子孫で儒者


彼が法をつかさどる廷尉だった時のこと。

当時の皇帝成帝の親戚で誅殺された淳于長の元側室たちの扱いについて議論になったことがあった。

というのは、その側室たちはある者は既に別件で死罪となり、ある者は離別して別の者の妻になっていたのである。

淳于長の罪状は「大逆無道」。これは皇帝に対する反逆罪であり、本来なら父母・妻子・兄弟(三族)が連坐して処刑される。
その元側室たちは淳于長に連坐させるべきかどうか、というのが問題になったのである。


当時の丞相・御史大夫は「犯罪は犯罪を犯した当時の法で裁くべきである。淳于長が罪を犯した時点では妻も連坐すべき罪だったのだから、離縁した元妻でも連坐させるべきである」と主張した。

それに対し孔光は「淳于長は自分の罪が大逆無道であると分かる以前に側室たちを離縁しているのだから、既に夫婦関係は破綻していて無関係になっている。それ以降に遡って連坐させるべきではない」と主張。
皇帝は孔光の主張を取り上げたという。


当時の「連坐」の範囲とか考え方についての興味深い記事。
「父母妻子同産」つまり父母・妻子・兄弟までが「大逆無道」の連坐範囲ということは、それ以上離れた親族は連坐はしなかったことになる。