改革のゆくえ2

久之、呂壹・秦博為中書、典校諸官府及州郡文書。壹等因此漸作威福、遂造作榷酤障管之利、舉罪糾奸、纖介必聞、重以深案醜誣、毀短大臣、排陷無辜、雍等皆見舉白、用被譴讓。後壹姦罪發露、收繫廷尉。雍往斷獄、壹以囚見、雍和顏色、問其辭状、臨出、又謂壹曰「君意得無欲有所道?」壹叩頭無言。時尚書郎懷敘面詈辱壹、雍責敘曰「官有正法、何至於此!」
(『三国志』顧雍伝)

三国時代、呉の呂壹は太子孫登や将軍陸遜以下多くの大臣等に憎まれた。
何故かと言うと、孫権の側近中の側近と言える中書になり、役所や各地の公文書をチェックして少しの罪も厳しく弾劾して権力を持ち、酒の専売などの利益を得るようになり、大臣を讒言し無実の者を罪に陥れたからだと『三国志』は述べている。

中書という孫権の側近中の側近であるから、少なくとも文書のチェック、つまり監査については孫権の命令によるものと考えて間違いないだろう。
また酒の専売についても、あたかも呂壹が主導あるいは独断で行ったかのように書いてあるが、これは怪しむべきだろう。
専売の収入や税収の類を寵臣であってもみすみす臣下に渡すような主君はそういない。むしろ政府の増収のための施策とみるべきだ。
ただしこれは専売試行による民へのダメージ以上に、国家専売の代わりに自分たちで酒を作って利益を得ていたであろう者へのダメージが大きい。
罪を厳しく摘発するのは監査ならある意味当然である。また当時の呉の官僚たちがそれだけ監査を受けるとマズイことをやっていたということでもある。
呂壹は世が世なら英雄のように思われても不思議ではないことをしているようにも見えるのである。

敢えて言うなら石田三成に少しだけ似ているかもしれない。

嘉禾中、始鑄大錢、一當五百。後(朱)據部曲應受三萬緡、工王遂詐而受之、典校呂壹疑據實取、考問主者、死於杖下、據哀其無辜、厚棺斂之。壹又表據吏為據隱、故厚其殯。權數責問據、據無以自明、藉草待罪。數月、典軍吏劉助覺、言王遂所取、權大感寤、曰「朱據見枉、況吏民乎?」乃窮治壹罪、賞助百萬。
(『三国志』朱拠伝)

その呂壹が失脚した件について、上の顧雍伝や呉主伝などではあまり触れられていないのだが、思うにこの朱拠の事件が関わっているのではないだろうか。
呉が大銭(1枚で500枚分に当たる。D&Dで言えばプラチナ貨)を作った時、朱拠に渡されるべき大銭を王遂なる者が詐取したが、呂壹は朱拠が取ったのだと疑い、朱拠を取り調べた。しかし真犯人王遂が発覚し、孫権が朱拠の無実と呂壹の悪事に気付き、呂壹の方を厳しく取り調べた、というのである。

最後は孫権に見捨てられた感の強い呂壹であるが、朱拠の件にしても呉の権威と財政の上で大事な大銭にまつわる事件であり、孫権の強い信頼と後ろ盾あっての呂壹だと言える。



孫登、陸遜、顧雍、朱拠といった面々と呂壹の争いとは、前者と孫権の争いということになる。


なお、前者の名前を二宮事件関連でもよく目にすることになるのは単なる偶然なのかどうか。