『漢書』注釈者の経歴2

散騎常侍陳留蘇林・光祿大夫京兆韋誕・樂安太守譙國夏侯惠・陳郡太守任城孫該・郎中令河東杜摯等亦著文賦、頗傳於世。
(『三国志』劉劭伝)

魏略曰(蘇)林字孝友、博學、多通古今字指、凡諸書傳文輭危疑、林皆釋之。建安中、為五官將文學、甚見禮待。黃初中、為博士給事中。文帝作典論所稱蘇林者是也。以老歸第、國家每遣人就問之、數加賜遺。年八十餘卒。
(『三国志』劉劭伝注引『魏略』)

魏略以遇及賈洪・邯鄲淳・薛夏・隗禧・蘇林・樂詳等七人為儒宗。
(『三国志』王朗伝注)

漢書』注釈者の一人、蘇林。
『魏略』には彼の伝も残っていたらしい。
どうやら彼の伝は「儒宗伝」なる伝に収録されていたようだが、他の者たち同様に彼の事績は『三国志』では殆ど収録されなかった。

『魏略』の引用から分かるのは、蘇林は建安年間から魏文帝の元におり、文帝に礼遇された学者だということ。

また『三国志』高堂隆伝によれば明帝の時代まで生きていたようだ。

孟康ほどは政治的な出世をしなかったが、学者としては一段も二段も上の存在だったと言えそうだ。


なお、顔師古の『漢書叙例』では蘇林が給事中領秘書監や安成亭侯であったと記されているのだが、これの根拠は見つけられない。