秦王子嬰の正体2

秦の二世皇帝胡亥の時代のこと。
二世皇帝は兄が何人もいた状況で即位したため、その兄たちである公子を次々と処刑していった、という。

公子嬰、後の秦王子嬰は『史記蒙恬列伝によれば二世皇帝が蒙恬蒙毅兄弟を殺そうとするのを諌めたとされている。
仮に彼が二世皇帝の兄や兄の子だとしたら、正直なところ子嬰が生きていたのが不思議ではないだろうか。

子嬰が皇帝への諫言という虎の尾を踏む行為にも関わらず命を失わずに済んだのは、少なくとも当時の胡亥にとっては彼が自分の地位を脅かす恐れの少ない人物だと思われたからではなかろうか。

つまり、http://d.hatena.ne.jp/T_S/20100502/1272727354で述べたように子嬰は始皇帝の傍系血族だという説を補強する事実ではないかと思う。