張釈之の仕事

史記』『漢書』列伝に名を残す前漢の官僚、張釈之。
彼は廷尉(裁判の担当大臣)となり、皇帝(文帝)の圧力にも負けず法を曲げない公平な量刑を行なった名臣、名裁判官として知られている。
また当時も周亜夫のような大物と交流を持ち著名になったとされている。
この時代を代表する人物の一人と言っていいだろう。

彼の官職について、『漢書』百官公卿表下によれば彼は文帝前三年(紀元前177年)に廷尉となっている。
文帝前十年(紀元前170年)には廷尉昌、廷尉嘉の名前が見えるので、少なくともここまでに一度張釈之は廷尉から転任したか、あるいは解任されている。その後は張釈之が廷尉になったことを示す記述は百官公卿表に見えないし、転任した先の官もよく分からない。

つまり、張釈之は文帝前三年から前十年までの間は廷尉だったと思われるが、それ以降はどこにいて何をしていたのかよく分からないのである(もちろん、書かれていないだけで廷尉に復帰したこともあったかもしれない)。
列伝によればそのあたりの事情は一切書かれておらず、景帝に代替わりしてから辞任を求めて慰留されたこと、その後淮南王の丞相にされたことだけが記録されている。

隠されているのか偶然や誤りによるものなのかはともかく、張釈之が名裁判官として活躍できた時期は意外と短かったと考えられる。
文帝が納得はするが意には沿わない判決や諫言をしばしばしている硬骨漢なので、閑職に飛ばされていたのかもしれない。