魯恭王

前漢景帝、武帝の頃の王、魯恭王劉余。
彼は孔子のホームタウン魯の王となり、古文の経書を発見したことで有名な人物である。

その魯王はそういうエピソードからなんとなく真面目で勤勉な人物のように考えてしまいそうになるが、実は全く逆のタイプであった。

(魯)恭王初好治宮室、壞孔子舊宅以廣其宮、聞鐘磬琴瑟之聲、遂不敢復壞、於其壁中得古文經傳。
(『漢書』魯恭王余伝)

古文を見つけた理由からして王の乱行なのである。つまり彼は自分の宮殿拡張のために孔子の旧宅を破壊しようとしたのだ。
雅な音楽が聞こえてきたからビビッて途中で取りやめ、そこで破壊した壁の中から古文の経書を発見したのである。


魯恭王余は宮殿造営や狩猟、犬・馬の遊び(おそらく賭博)を好んだという。お世辞にも真面目で勤勉なタイプとは言えない。

それどころか、こんな酷い話まで伝わっている。

魯相初到、民自言相、訟王取其財物百餘人。田叔取其渠率二十人、各笞五十、餘各搏二十、怒之曰「王非若主邪?何自敢言若主!」魯王聞之大慙、發中府錢、使相償之。相曰「王自奪之、使相償之、是王為惡而相為善也。相毋與償之」於是王乃盡償之。
(『史記』田叔列伝)

魯の宰相となった田叔は、着任早々に民が百人以上も「魯王に財物を取られました」と訴え出てくるのに遭遇した。しかし田叔はその民をむち打ち、「王はお前らの主君ではないか。主君を訴えるとは何事か!」と叱責した。
魯王はそれを聞いて恥じ入り、私財を出して宰相田叔に民に返すよう命じようとしたが、田叔はそれに反対して言った。「王が奪った金品を私が返したら、王が悪事を為して宰相が善行を行ったことになってしまいます。王自らがお返しください」

まあ、聞く耳を持っている分まだマシな方ではある(もっと酷いのもいっぱいいる)が、褒められたものではない不良王である。


こんな人物が自分の趣味のために孔子の邸宅(おそらくは子孫や儒家によって大事に維持管理されていたであろう。だからこそそれまで古文の経書は見つからなかったのである)を破壊するという暴挙に出たお陰で古文の経書は発見され、経書学は新たな段階を迎えることとなった。
大変皮肉な話である。