卞皇后×2

魏の皇帝、高貴郷公の皇后は卞氏
魏の皇帝、陳留王(元帝)の皇后は卞氏

もちろんどちらも曹操の正妻であった卞太后の親族(弟の子孫)である。


ところで、この両者が皇后だった頃、皇帝には実権は無く司馬氏が権力を握っていた。
数十年前、権力を握り簒奪を目前としていた曹操は漢の献帝後宮に我が子を送り込んで皇后に立てた。
さらに200年ほど前、権力を握った王莽は漢の平帝の後宮に我が子を送り込んで皇后に立てた。

おそらく司馬氏は既に簒奪(禅譲)を目標としていたと思うが、皇后に自分の一族を送り込むことはしていない。

この違いは興味深い。


王莽、曹操のように簒奪への野心を露にしないよう心がけたということなのか、それとも皇后の座が権力者にとって魅力的ではなかったのか。
色々な要素がありそうだが、王莽や曹操の「禅譲」と司馬氏の「禅譲」は同じようでけっこう違うのではないだろうか。