孔丘先生の失言3

中国は春秋時代に私生児として生まれた孔丘先生は、しばしば反社会的な発言をしてしまうことで有名。

魯哀公十四年春、狩大野、叔孫氏車子鉏商獲獸、以為不祥。仲尼視之、曰「麟也」取之。曰「河不出圖、雒不出書、吾已矣夫!」顏淵死、孔子曰「天喪予!」及西狩見麟曰「吾道窮矣!」喟然歎曰「莫知我夫!」子貢曰「何為莫知子?」子曰「不怨天、不尤人、下學而上達、知我者其天乎!」
(『史記孔子世家)

「圖」「書」というのは聖天子の現れと共に出現するマジックアイテム(アーティファクト)。この世の法則とかそんな感じのすごい何かが書かれてるものらしい。
とにかく、聖人が天子として君臨することにより出現するらしい。
また「麟」も聖天子と共に出現する幻獣らしい。

何故にみんな大好き孔丘先生はそれが出てこないと「俺オワタ」なのか。
何故に孔丘先生は「あーもう俺を知る奴がいねーよー!」と言い出し、愛弟子子貢が「え?みんな知ってるじゃないッスカ」と聞くと「天を恨んだり人を咎めるつもりはないが、俺を知る者は天だけだ」と答えたのか。


孔丘先生最大の失言と言っても過言ではない。
もっとも先生本人は失言と思ってないのかもしれないが。


「アイテムの出現フラグが立たねえ。ということは、俺がキーになってアイテムが出ると思ってたけど、もしかして俺って聖人じゃないの?
俺オワタ\(^o^)/」

「オレサマの天子即位を祝って出てくるはずの麟が、ヘンな時に現れた上に皆に「キモイ」と言われてる。俺のルートはバッドエンドだ」

「俺は聖人で天子になるはずの人間なのに誰も認めようとしない。
ああいいさ、俺の価値を知る者は天だけさ。人間どもには分かりはしないのさ」


先生はどうやら心のどこかでは「自分こそ聖人で、いつか天子になってこの乱世を治めるのだ」と思っていたようなのだ。
謙遜して「みんな言ってるけどボク聖人なんかじゃありませんのだ」と言う事もあるが、聖人アイテムが出てこないと「\(^o^)/」となってしまうのが孔丘先生の本心なのである。

先生本人は自分こそが聖天子になるべき運命だと信じていた。
だからこそ、「仲弓なら君主にしてやってもいいな」なんて発言も出てくる。
だって今に先生は天子になるのだから、その後継者を先生が前もって選んでいても何の不思議も無い。


なんでこの人というかこの人の教団は反逆者集団として討伐されなかったんでしょうか。
世の新興宗教の教団は布教や世俗権力獲得の方法をこの先生から学ぶべきかもしれません。