孔丘先生リアルに予言者

孔子將死、遺讖書曰「不知何一男子、自謂秦始皇、上我之堂、踞我之牀、顛倒我衣裳、至沙丘而亡。」其後、秦王兼吞天下、號始皇、巡狩至魯、觀孔子宅、乃至沙丘、道病而崩。又曰「董仲舒亂我書。」其後、江都相董仲舒、論思春秋、造著傳記。又書曰「亡秦者、胡也。」其後二世胡亥、竟亡天下。用三者論之、聖人後知萬世之效也。
(『論衡』実知第七十八)

孔子こと我らが孔丘先生は死に際に予言を残したのだ、という話があるらしい。




「どこの馬の骨か知らんが「秦始皇」を名乗る奴が私の堂に踏み入り、私の牀に腰掛け、私の衣服を倒し、沙丘というところで死ぬ」



董仲舒というヤツが私の書き残したものを混乱させる」



「秦を滅ぼすのは「胡」である」





このことを記録した王充は「違うよ、全然違うよ」と言っている否定派だが、当時孔丘先生にはそういう予言能力があった考える人たちも少なくなかったからこそこういう話を出したのではないだろうか。



どうやら「聖人なら易で未来を知るように未来を予知できる」みたいな考え方があったようだ。





なんだ、やっぱり孔丘先生は予言者だったんじゃないか!