本当は恐ろしい司馬遷4

「五百年必有王者興」(『孟子』公孫丑章句)
「五百歳而聖人出」(『法言』五百)

戦国時代から前漢にかけて、「五百年に一度、聖人が世に現れる」と信じられていたらしい。これは『法言』で論破されているのだが、少なくとも孟子はそれを信じていた。

「自周公卒五百歲而有孔子孔子卒後至於今五百歲、有能紹明世、正易傳、繼春秋、本詩書禮樂之際?」(『史記』太史公自叙)

そしてその考えは、もちろん司馬遷の時代にもあった。というか真っ只中である。

孔子から五百年後に、聖人の著した聖典である六経を継いで手を加えられる人物、その人は孔子と同等、すなわち聖人ということになる。

そして、孔子から五百年後はまさに司馬遷の時代。

史記』を著すということは「六経の一つ『春秋』を継ぐ」ということである。
司馬遷が意識していたかは別として、『史記』を著すということは、自分が孔子の次の聖人として名乗りを上げる行為なのである。