司馬遷の書を読んでみよう13

その12(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160625/1466784494)の続き。たぶんそろそろみんな飽きてる頃。



古者富貴而名摩滅、不可勝記、唯俶儻非常之人稱焉。蓋西伯拘而演周易。仲尼戹而作春秋。屈原放逐乃賦離騷。左丘失明厥有國語。孫子髕脚兵法修列。不韋遷蜀世傳呂覽。韓非囚秦、説難・孤憤。詩三百篇、大氐賢聖發憤之所為作也。此人皆意有所鬱結、不得通其道、故述往事、思來者。及如左丘明無目、孫子斷足、終不可用、退論書策以舒其憤、思垂空文以自見。
僕竊不遜、近自託於無能之辭、網羅天下放失舊聞、考之行事、稽其成敗興壊之理、凡百三十篇、亦欲以究天人之際、通古今之變、成一家之言。
草創未就、適會此禍、惜其不成、是以就極刑而無慍色。僕誠已著此書、藏之名山、傳之其人通邑大都、則僕償前辱之責、雖萬被戮、豈有悔哉!然此可為智者道、難為俗人言也。
(『漢書』巻六十二、司馬遷伝)

古より、富貴の身であってもその名は後世消え去っているという事例が数え切れず、極めて優れた尋常ではない者だけが後世でも称えられているのだ。


西伯(周の文王)は軟禁されたが周易を敷衍した。孔丘先生は困窮したが『春秋』を作った。屈原は放逐されたが「離騒」を詠んだ。左丘明は失明したが『国語』を著した。孫子孫臏)は足を切られたが兵法を編集した。呂不韋は蜀に配流されたが『呂覧』は世に伝えられた。韓非子は秦で虜囚となったが「説難」「孤憤」を書いた。詩経の三百篇の多くが賢人・聖人の憤りから歌われたものだ。


彼らは皆鬱屈した思いを抱え、本来行くべき道を遮られたことから、過去のことを記し、未来に思いを馳せたのである。


失明した左丘明、足を切られた孫臏などは道を完全に閉ざされてしまったため、著述の道に退いて憤った思いを述べたのである。


僕は自分を無能と謙遜しつつ天下の歴史や伝承を網羅し、その興廃の理論を考えて百三十篇の書を著した。天と人との関わりを究明し、古今の変化に通暁し、一つの理論体系にしようと思ったのである。


だがその執筆が終わる前に例の災いに遭遇し、書が完成しないことだけが心残りだった。そのために宮刑という誇りを失う極刑を受けても恨みも無かったのだ。


僕は既にその書を完成させて原本は名山に収め、写しは人々に広まっているので、僕はかつての屈辱を受けた責めを償い、もはや処刑されたとしても悔いなどないのだ。


だが、このことは賢者に対して言うことであり、普通の人に対しては説明しがたいことである。




司馬遷は任安にはさんざん誇りを保てるのは捕まる前に死ぬことだけだと言っておきながら自分が死なずに宮刑を受けたことについて真意を説明する。



このあたりは有名なくだりと言っていいだろうから、くどくどと説明するまでもないだろう。





深読みすれば、この部分についての任安に対するメッセージとしては、「自分にとっての『史記』のような心残りがないのなら、士大夫的に最大最悪の恥辱である宮刑を受けないようにした方がイイ」なのかもしれない。


言い換えると、「もう死んだ方がイイ」である。