銭で罪を購うことができず、『史記』のために誇りある自決ではなく宮刑を受けて生き恥をさらして生き延びることを選んだ男、司馬遷。
彼は宮刑を受けると中書令になった、と『漢書』司馬遷伝に記されている。
中書令は、おそらく宦官の登る地位としては最上のものの一つ。
奥向きにおける尚書、つまり皇帝の秘書官のトップである。
宣帝から元帝の時代にかけて権力を握った宦官、弘恭と石顕が就いていたのも中書令であった。
司馬遷は宦官としては位人臣を極めた、と言っても良いのだ。
おそらく、任安が司馬遷に手紙を出したというのも、宦官となってからの司馬遷が持つ権力、影響力を当てにしたものなのだろう。