王莽少與(班)穉兄弟同列友善、兄事斿而弟畜穉。
斿之卒也、修緦麻、賻賵甚厚。
(『漢書』巻一百上、叙伝上)
あれ?もしかして王莽って班斿(班固の親族)の死に対して喪に服したという事か・・・?
やっぱこれ王莽と班氏の間には血縁(姻戚)関係があったという事なのでは・・・?
昨夜の一件で、なんというか身体へのダメージが案外キツイ。
今日はここまで。
6強か・・・これはいかん。
これまで何度か王莽と金氏(金日磾の一族)と班氏(班固の一族)の関係について書いてきた。
(金)當母南即莽母功顯君同産弟也。
(『漢書』巻六十八、金日磾伝)
それらによると、王莽の母と金日磾の子孫金当の母は姉妹である。つまり王莽と金当は従兄弟なのである。
贊曰、臣外祖兄弟為元帝侍中、語臣曰元帝多材藝、善史書。
【注】
應劭曰「元・成帝紀皆班固父彪所作、臣則彪自説也。外祖、金敞也。」
(『漢書』巻九、元帝紀、賛)
そして班固の父班彪の外祖父が金敞。つまり班彪の母(班固の祖母)は金氏である。
王莽少與(班)穉兄弟同列友善、兄事斿而弟畜穉。
(『漢書』巻一百上、叙伝上)
王莽と班固の先祖(班穉は班彪の父)は兄弟のような付き合いがあった、という。
ところで、王莽の母(功顕君)はどの家の出なのか明記されてないと思う。
だが、こういう時代には何代も同じ家同士が通婚するというのが割とあったようだ。
王莽と従兄弟金当のどちらの家とも懇意で、少なくとも金氏との通婚が確認できる家が、上から分かるようにひとつ心当たりがある。
王莽が班氏と兄弟のような付き合いをしていたという話は、王莽の母の実家、つまり王莽にとっての外戚の家の事だから、だったりはしないだろうか?
王子比干者、亦紂之親戚也。見箕子諫不聽而為奴、則曰「君有過而不以死爭、則百姓何辜!」乃直言諫紂。紂怒曰「吾聞聖人之心有七竅、信有諸乎?」乃遂殺王子比干、刳視其心。
(『史記』巻三十八、宋微子世家)
殷の紂王の時、その親戚つまり殷王の一族である王子比干は紂王より「聖人の心臓には七つの穴があるというが本当だろうか?」と言われた。紂王はそこでこの王子比干を殺して心臓を摘出して調べてみたそうだ。
「聖人」というと周の文王のような王朝開祖や孔子こと孔丘先生のような巨人が想定されるのが通例のようなので、紂王は王子比干の事を自分を倒して新たな時代の開祖となるような大人物かもしれない、と思ったという事になる。
心臓が聖人の心臓でなければ「王子比干は自分を打倒して新たな時代の開祖ではなかった。聖人でない」と世間に知らしめることができ、万一聖人の心臓だったとしても既に王子比干は死んでいるので実際に自分の地位を脅かす事はできない。
そういう、どっちに転んでも紂王にとってはメリットのある話だったのかもしれない。
もちろん、人心が離れるという事を抜きにすれば、だが。
ここだけの話、先日のキリンの記事は色々雑だったなとか反省してるけど面倒だから直したりしない。
まいっかの精神。