金氏と班氏と王莽

贊曰、臣外祖兄弟為元帝侍中、語臣曰元帝多材藝、善史書
【注】
應劭曰「元・成帝紀皆班固父彪所作、臣則彪自説也。外祖、金敞也。」
(『漢書』巻九、元帝紀、賛)

漢書』賛および注によると、あの班固の父である班彪の外祖父は金敞という人物だという。



元帝為太子時、(金)敞為中庶子、幸有寵、帝即位、為騎都尉光祿大夫、中郎將侍中。
(『漢書』巻六十八、金安上伝)

それは何者かというと、あの武帝死後の朝廷を支えた人物の一人、匈奴人であった金日磾の弟の子金安上の子である。




この金氏は金安上が宣帝に寵愛されてから代々皇帝の傍仕えをしてきており、金敞は元帝に寵愛されていたらしい。




初、(金)當曾祖父日磾傳子節侯賞、而(金)欽祖父安上傳子夷侯常、皆亡子、國絶。
故(王)莽封欽・當奉其後。當母南即莽母功顯君同産弟也。
(『漢書』巻六十八、金安上伝)

さて、金日磾の直系子孫である金当の母と王莽の母は姉妹であったそうな。



そこで、王莽は後継者が絶えて断絶していた金日磾と金安上の侯国を復活してやったのだという。





先日、「王莽と班固の先祖が懇意であった」との記事を書いたが、これはただ仲良しだったというだけではなく、金氏と班氏、そして王莽とが婚姻関係によって結びついていたことを示していたのかもしれない。