心臓を捧げよ

王子比干者、亦紂之親戚也。見箕子諫不聽而為奴、則曰「君有過而不以死爭、則百姓何辜!」乃直言諫紂。紂怒曰「吾聞聖人之心有七竅、信有諸乎?」乃遂殺王子比干、刳視其心。
(『史記』巻三十八、宋微子世家)

殷の紂王の時、その親戚つまり殷王の一族である王子比干は紂王より「聖人の心臓には七つの穴があるというが本当だろうか?」と言われた。紂王はそこでこの王子比干を殺して心臓を摘出して調べてみたそうだ。




「聖人」というと周の文王のような王朝開祖や孔子こと孔丘先生のような巨人が想定されるのが通例のようなので、紂王は王子比干の事を自分を倒して新たな時代の開祖となるような大人物かもしれない、と思ったという事になる。



心臓が聖人の心臓でなければ「王子比干は自分を打倒して新たな時代の開祖ではなかった。聖人でない」と世間に知らしめることができ、万一聖人の心臓だったとしても既に王子比干は死んでいるので実際に自分の地位を脅かす事はできない。



そういう、どっちに転んでも紂王にとってはメリットのある話だったのかもしれない。



もちろん、人心が離れるという事を抜きにすれば、だが。