外戚封建のルール3

建初元年、帝欲封爵諸舅、太后不聽。明年夏、大旱、言事者以為不封外戚之故、有司因此上奏、宜依舊典
(『後漢書』紀第十上、皇后紀上、明徳馬皇后)


後漢の馬皇后は皇太后になってからも自分の兄弟の封建を許さないでいた。


そんな折に旱魃が発生したが、「外戚を封建しないでいるからこういう天譴が起こったのだ」と述べる者がいたのだとか。



つまり皇太后の兄弟(舅)を封建するのは漢の通例であり、それに逆らう方が天が怒り災いになる、ということらしい。



太后の兄弟を封建するのは皇太后や皇帝の贔屓や彼らを用いたいという政治的要請だけでなく、「守られるべき漢の制度」という義務的な面もあるということになるようだ。