漢代の君

公卿議更立皇后、皆心儀霍將軍女、亦未有言。上乃詔求微時故劍、大臣知指、白立許倢伃為皇后。既立、霍光以后父廣漢刑人不宜君國、歲餘乃封為昌成君。
(『漢書』巻九十七上、外戚伝上、孝宣許皇后)

漢の宣帝の皇后となった許氏の父の許広漢は、許氏が皇后になった時に「昌成君」となった。



この時の権力者霍光(皇后候補だった霍氏の父)は、許広漢が刑を受けた元罪人(宮刑を受けた)であるから君主となるべきではないと考えていたのだという。



これまで、皇后が立てられるとその父は列侯となる事が多く(死んでいても列侯の地位を追贈されている)、許広漢が列侯にならなかったのは例外に属する処置であり、その理由が霍光の反対だったのだろう。



このほかの例を見ると、皇后・皇太后の母や娘(劉氏の血を引かない)なども「君」にされる事が多く、湯沐邑つまり領土があった事が明記されている例もある。



「君」は列侯よりは下がる地位なのだろうが、貴人の親族などに与えられる特殊な地位であった事も間違いないだろう。



許広漢の「昌成君」に領土があったのか分からない(霍光の話からすれば無かったのかもしれない)が、列侯を与えるのは適当でない、しかし何の地位も与えないというのも適当でない、という者に対しては、漢の二十等爵に記載の無い「君」が与えられるしきたりだった、という感じだろうか。