曹洪の乳母

明帝即位、賜爵關内侯。頃之、特進曹洪乳母當・與臨汾公主侍者共事無澗神繫獄。
(『三国志』巻十二、司馬芝伝)

魏の明帝の時、曹洪の乳母が当時の淫祀邪教の類を崇めていたという容疑で獄に繋がれていたという。




曹洪は「従弟」である以上曹操よりは年齢が下のはずだが、それにしても明帝の時代まで乳母が生きていたのか・・・。



乳母は下手すると80歳とかいってたんじゃないだろうか?




とはいえ、曹洪曹操と年齢が割と離れていて、曹洪はまだそこまで年寄でもなかった、という可能性もあるか・・・。