空前の驢馬ブーム

靈帝於西園宮中駕四白驢、躬自操轡、馳驅周旋、以為大樂。於是公卿貴戚轉相倣、至乘軒以為騎從、價與馬齊。凡人相罵曰死驢、醜惡之稱也。董卓陵虐王室執政皆如死驢。
(応劭『風俗通』佚文)


前半は『続漢書』五行志にも見える話だが、後半部がお上品になっているので敢えて『風俗通』を引く。


漢の霊帝は驢馬を自分で操ることを娯楽としていたそうだ。
それで当時の大臣や貴人たちの間でも驢馬ブームが沸き起こり、驢馬の値段が馬の値段と同じくらいになったのだという。



当時、相手を罵倒する言葉として「死驢」というのがあったという*1
「この死んだ驢馬野郎!」とほぼ直訳してもなんだか物凄くバカにされた気がしてくる。


つまり漢の霊帝時代の驢馬ブームは漢王朝自体が「死んだ驢馬」になる前兆だったんだよ!怖いね!というのが応劭の解釈ということである。




当時の驢馬ブーム、袁紹とか曹操なんかも流行に乗っていたんだろうか・・・。
驢馬に乗った従者を従えた曹操とか見てみたい。

諸葛亮の兄上は売られずに済んだだろうか・・・。


*1:「四」=「死」ということではないかと思われる。