正論と切り抜き

建安元年、許県に連行された後漢献帝は連行した曹操を大将軍としたが、袁紹曹操の下となるのをよしとせず、そのために曹操は大将軍を辞退した、という話が残っている。




よく考えてみると、この時の曹操は大将軍になるのが必然であって袁紹の異議は完全な感情論による横紙破りかというと、そうでもないのではないか、と思わないでもない。




官位の上昇の通例で言えば、鎮東将軍から大将軍というのは少々急すぎるではないか。




董卓や李傕だって、官位の変遷はもう少し段階を踏んでいる。




つまり、袁紹の異議、不満は「本来の漢王朝の官位ではありえないような昇進をしている」ということへの文句と解釈することもできるのではないだろうか?



董卓以降にどうしようもなく乱れた漢王朝の正常化を目指すならば、大将軍の前任であった韓暹のような従来の官位秩序を完全に無視した就任などはあってはならず、大将軍を選ぶなら三公なりそれに匹敵する将軍なりといった「ふさわしい者」から選ぶべき、ということになるだろう。



王朝の秩序を重視するのであれば、妥当と言っていい意見ではないだろうか。皇帝を保護したと言っても、それだけで官界の秩序をガン無視していては、楊奉・韓暹らの時と変わらないではないか。




「鎮東将軍が一足飛びに自分らを追い越して大将軍になるべきではなく、より上位の将軍である自分らとのバランスを考えてもらわねば困る」みたいな言い分を、「曹操が自分を追い抜くのが嫌だった」と悪意ある切り抜きをした、と考えることもできないだろうか?