争いの種蒔く人

「長男を後継ぎと決めるが、その弟をことあるごとに寵愛して手柄立てさせようとまでしてる」というのは、もう完全に後継ぎ交代の流れだし、そのまま放置すれば確実に争いの種。国が割れても不思議じゃない。



「自分の後継ぎとした長男の子供のうち、庶子としかいいようのない子を三代目だと自分のうちから明言しておく」というのも、長男自身の気持ちや当時の一般的な考え方からしたら少々どころではなく迷惑な話だし、ほかの本来嫡子であるべき子やその母たちとの間で揉め事になる可能性がすごく高く、確実に争いの種。国が割れても不思議じゃない。




この二つをどちらもやったとされているのが魏王曹操



彼は自分の国を自分の死後すみやかに滅ぼそうとでも思っていたのだろうか?


後継ぎ問題に関しては、進んで争いの種を蒔いていたようにしか思えない。





曹丕曹植の冷静さと果断な処置、および幸運が無かったら相当危うかったと思う。