東平靈王徽、奉叔公朗陵哀侯玉後。
(『三国志』巻二十、東平霊王徽伝)
樊安公均、奉叔父薊恭公彬後。
(『三国志』巻二十、樊安公均伝)
曹操の息子たちの何人かは、叔父の後を継いだことになっている。
つまり、実子がいないまま死んで子孫として祭祀を行う者がいなかった叔父(文字通りに考えれば曹操の弟ということになる)を、実子の代わりに祀るということである。
ところで、夏侯淵の長男夏侯衡は曹操の弟である海陽哀侯の娘と結婚したのだという。
この海陽哀侯の後を継いだ曹操の息子の記録が無いがおかしいじゃないか!と一瞬思ったのだが、良く考えてみたらそれは違っていた。
たぶん、この海陽哀侯にはちゃんと実子の後継ぎがいたんだね。
その後継ぎは曹操の甥(従子)、曹丕の従兄弟ということになるわけで、全然記録が残っていないのは不思議にも思うが、まあそんなこともあるのだろう。