平原侯はどう?

初、太祖久不立太子、而方奇貴臨菑侯。丁儀等為之羽翼、勸(衛)臻自結、臻以大義拒之。
及文帝即位、東海王霖有寵、帝問臻「平原侯何如?」臻稱明徳美而終不言。
(『三国志』巻二十二、衛臻伝)

今やっと理解できた(気がした)ので書いておく。



三国魏の衛臻は魏の文帝曹丕から「平原侯(後の烈祖様)はどうであろうか?」と聞かれ、聡明さや徳を称えるのみであった、という。




これの意味するところって「曹丕は東海王霖を後継ぎにしたかったので、衛臻が曹丕の心づもりを忖度して「平原侯は後継ぎにふさわしくない」と言うのを期待してあえて後継ぎ候補一番手(と思われる)平原侯の事を聞いた」ということなのかな・・・。





例によって世の三国志っ子はみなわかっていることなのだろうが、鈍い私はやっとそう思いついたので一応記しておいた。