ひとこと

曹操劉表を攻める段階では、孫権は基本敵対的ではなかったはずだし、遼東の公孫氏も益州劉璋も同様。



関中は司隷校尉の元小康状態ではあったと言えそうだし、涼州にしても州牧韋氏はある程度均衡を保っていたように思われる。



つまり曹操に明確に敵対していたと言えるのは劉表(と劉備)くらいだったわけで、劉表劉備を退治すれば、その時点で天下平定・統一と言っても過言ではなかったのではないか。




無論これには急に離反する者がいなければの話だが。





本当にあと一歩で天下統一まで来ていて、最後の敵を降伏させたかと思ったのに、終わってみれば敵が劉備孫権の2勢力に増えていたというのがあの段階の曹操だが、その後すぐに劉備孫権との再戦をできなかったというのは、敗戦のダメージが案外大きく、軍事的にも政治的にも結構ピンチだったということなんじゃないかと思う。




統一が数十年単位で遅くなったというのが割と誇張の無い話だと思うので、これで負けていないというのは少々無理筋かな、とも思う。