大農

改相國為司徒、御史大夫為司空、奉常為太常、郎中令為光祿勳、大理為廷尉、大農為大司農
(『三国志』巻二、文帝紀、黄初元年十一月)

曹操曹丕の魏王国(公国)においては、漢帝国における太常は奉常、大司農は大農という官名であったという。



魏國既建、為大司農・郎中令。太祖議行肉刑、(王)脩以為時未可行、太祖採其議。徙為奉尚
(『三国志』巻十一、王修伝)

という事は、魏王国(公国)時代に魏国の官に就いたと思われる王修は、「大司農」ではなく「大農」になったというのが正しいのだろう。




そして、「奉尚」というのは「奉常」の誤りなのだろう。どの段階での誤りなのかは分からないが。