『漢書』武帝紀を読んでみよう:その28

その27(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20180102/1514818881)の続き。






三年春二月、御史大夫王卿有罪自殺。
初榷酒酤。
三月、行幸泰山、修封、祀明堂、因受計。
還幸北地、祠常山、瘞玄玉。
夏四月、赦天下。行所過毋出田租。
秋、匈奴入鴈門、太守坐畏愞棄市。
四年春正月、朝諸侯王于甘泉宮。
發天下七科讁及勇敢士、遣貳師將軍李廣利將六萬騎・歩兵七萬人出朔方、因杅將軍公孫敖萬騎・歩兵三萬人出鴈門、游撃將軍韓説歩兵三萬人出五原、強弩都尉路博徳歩兵萬餘人與貳師會。廣利與單于戰余吾水上連日、敖與左賢王戰不利、皆引還。
夏四月、立皇子髆為昌邑王。
秋九月、令死罪入贖錢五十萬減死一等。
(『漢書』巻六、武帝紀)

天漢3年、4年。



既に鉄と塩の生産・販売を国家独占としていたが、ここで酒についても同じようにしたという。



当時の酒は単なる嗜好品ではなく、各種儀礼でも使われていたので、鉄や塩と同様に価格が高いからといって一切消費せずに済ます事が難しかったと思われる。




皇子髆の母は李夫人。李広利の妹である。この時には既に李夫人は死んでいたらしい。



この昌邑王の存在は後に少々問題となるが、それについては後述することになるだろう。