『漢書』高后紀を読んでみよう:その10

その9(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20170923/1506092711)の続き。




太尉勃與丞相平謀、以曲周侯酈商子寄與祿善、使人劫商令寄紿説祿曰「高帝與呂后共定天下、劉氏所立九王、呂氏所立三王、皆大臣之議。事已布告諸侯王、諸侯王以為宜。今太后崩、帝少、足下不急之國守藩、乃為上將將兵留此、為大臣諸侯所疑。何不速歸將軍印、以兵屬太尉、請梁王亦歸相國印、與大臣盟而之國?齊兵必罷、大臣得安、足下高枕而王千里、此萬世之利也。」祿然其計、使人報産及諸呂老人。或以為不便、計猶豫未有所決。
祿信寄、與倶出遊、過其姑呂嬃。嬃怒曰「奴為將而棄軍、呂氏今無處矣!」乃悉出珠玉寶器散堂下、曰「無為它人守也!」
(『漢書』巻三、高后紀)

周勃・陳平らは呂禄らを出し抜くため、呂禄と仲の良い酈寄を利用する。酈寄の父は高祖の功臣の大物の一人酈商である。陳平らは酈商を脅して息子経由で呂禄に「兵を太尉周勃に返し、それぞれ自分の領国に戻れば斉は兵を退くはずだ」と吹き込む。



つまり、斉が挙兵する根拠は呂氏が漢王朝を危うくしようとしている、ということだろうから、その根拠を無くしてしまえ、というところだ。



呂氏の中にもそれをよしとする者もいれば、呂后の妹呂嬃のように呂氏破滅の決定打だと思った者もいた。



ただ、ここから考えると、呂氏の企みというのは積極的に漢王朝を乗っ取ろうというものではなかったのではないか、と思える。

簒奪に積極的だったらここで兵を渡して呂氏の主力は領国へ行こう、という発想にはなりにくいような気がするのだ。



まあ、気がするという程度の話だが。



呂祿・呂産欲發亂關中、内憚絳侯・朱虚等、外畏齊・楚兵、又恐灌嬰畔之、欲待灌嬰兵與齊合而發、猶豫未決。
當是時、濟川王太・淮陽王武・常山王朝名為少帝弟、及魯元王呂后外孫、皆年少未之國、居長安。趙王祿・梁王産各將兵居南北軍、皆呂氏之人。列侯羣臣莫自堅其命。
太尉絳侯勃不得入軍中主兵。曲周侯酈商老病、其子寄與呂祿善。絳侯迺與丞相陳平謀、使人劫酈商。令其子寄往紿説呂祿曰「高帝與呂后共定天下、劉氏所立九王、呂氏所立三王、皆大臣之議、事已布告諸侯、諸侯皆以為宜。今太后崩、帝少、而足下佩趙王印、不急之國守藩、迺為上將、將兵留此、為大臣諸侯所疑。足下何不歸印、以兵屬太尉?請梁王歸相國印、與大臣盟而之國、齊兵必罷、大臣得安、足下高枕而王千里、此萬世之利也。」呂祿信然其計、欲歸將印、以兵屬太尉。使人報呂産及諸呂老人、或以為便、或曰不便、計猶豫未有所決。
呂祿信酈寄、時與出游獵。過其姑呂嬃、嬃大怒、曰「若為將而弃軍、呂氏今無處矣。」迺悉出珠玉寶器散堂下、曰「毋為他人守也」
(『史記』巻九、呂太后本紀)

このあたりは『史記』『漢書』とも本紀はあまり違いが無い。