宦官の父の葬儀

有宦者趙忠喪父、歸葬安平、僭為璵璠・玉匣・偶人。(朱)穆聞之、下郡案驗。吏畏其嚴明、遂發墓剖棺、陳尸出之、而收其家屬。帝聞大怒、徴穆詣廷尉、輸作左校。
(『後漢書』列伝第三十三、朱穆伝)

後漢冀州刺史朱穆は厳格な人物であった。



ある時、宦官趙忠が父を亡くして故郷安平に戻って葬った際、主君が帯びるべき玉や、玉製の遺体を収める箱、人をかたどった模型などといった副葬品を一緒に収めた。



どうやらこれらの副葬品はいずれも天子にのみ許されるべきものであるらしく、趙忠がどれだけ高位であったにせよ、その父の副葬品としてはふさわしくないということのようだ。




それを知った朱穆は安平郡に取り調べを命じ、官吏も朱穆の厳しさを恐れて趙忠の父の墓を暴いて確認するまでに至り、関係者を逮捕したのだった。



おそらくはそのことを趙忠から泣きつかれたのであろう皇帝は激怒して朱穆を刑徒に落としたのだという(その後諫言を受けて赦免している)。





まあ、屋敷が天子の宮殿に匹敵していたというのだから、父の葬儀も天子に匹敵する制度で行われていたとしても不思議ではない、というところだろう。




それにしても趙忠はずいぶん僭上の沙汰が多い宦官だったようだ。