パパは小学四年生

昨日の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20160303/1456932475)についてだが、後からこのような記事があったことを知らされた。

襄公の冠礼
http://d.hatena.ne.jp/Archer0921/20140114/1389709479

恥ずかしながら正直すっかり忘れてしまっていたが、これは昨日の記事のようなことが春秋時代にも生きていたことを伺わせる内容ではないか。




元記事で言及されているように諸説あるようだし、どこまで実態を反映していたかという点でも疑問はあるだろうが、十二歳(数えであることを考えると現代の年齢に直すと小学四年生程度だろうか?)になったら「冠礼」を行い、それから子作りを開始するというのは当時の君主においてはありうることだったようである。




金八先生なども教え子が子作りした時に『左伝』のこの部分を引用すれば完全な理論武装ができたのだろうになあ。