項羽と羊、始皇帝陵を壊すの巻

(劉)向上疏諫曰・・・(中略)・・・
始皇帝葬於驪山之阿、下錮三泉、上崇山墳、其高五十餘丈、周回五里有餘。石槨為游館、人膏為燈燭、水銀為江海、黄金為鳧雁。珍寶之臧、機械之變、棺槨之麗、宮館之盛、不可勝原。又多殺宮人、生薶工匠、計以萬數。天下苦其役而反之、驪山之作未成、而周章百萬之師至其下矣。項籍燔其宮室營宇、往者咸見發掘。其後牧兒亡羊、羊入其鑿、牧者持火照求羊、失火燒其臧槨。自古至今、葬未有盛如始皇者也、數年之間、外被項籍之災、内離牧豎之禍、豈不哀哉!・・・(後略)・・・
(『漢書』巻三十六、劉向伝)

劉向が漢の成帝の陵墓造営を批判する上奏の中でこのようなことを言っている。




始皇帝陵は完成する前から反乱軍の周章(秦本国へ攻め入った陳勝の将)に迫られ、項羽が咸陽に達すると宮殿は焼かれて陵墓も盗掘に遭った。



その後、羊飼いの羊が発掘する際に開けた穴から陵墓に迷い込み、羊飼いは松明を付けて陵墓内の羊を探している間にどこかに引火して火事が起こったという。




なおこの火事は『三秦記』では「三月煙不絶」と記されており、なかなか盛大に燃えたらしいことがわかる。




項羽と羊が始皇帝の墓を破壊した、ということらしい。