ベッドの上で確認してみよう

嚴光字子陵、一名遵、會稽餘姚人也。少有高名、與光武同遊學。及光武即位、乃變名姓、隠身不見。帝思其賢、乃令以物色訪之。後齊國上言「有一男子、披羊裘釣澤中。」帝疑其光、乃備安車玄纁、遣使聘之。三反而後至。舍於北軍、給牀褥、太官朝夕進膳。
司徒侯霸與光素舊、遣使奉書。使人因謂光曰「公聞先生至、區區欲即詣造、迫於典司、是以不獲。願因日暮、自屈語言。」光不荅、乃投札與之、口授曰「君房足下、位至鼎足、甚善。懐仁輔義天下悦、阿諛順旨要領絶。」霸得書、封奏之。帝笑曰「狂奴故態也。」
車駕即日幸其館。光臥不起、帝即其臥所、撫光腹曰「咄咄子陵、不可相助為理邪?」光又眠不應、良久、乃張目熟視、曰「昔唐堯著徳、巣父洗耳。士故有志、何至相迫乎!」帝曰「子陵、我竟不能下汝邪?」於是升輿歎息而去。
復引光入、論道舊故、相對累日。帝從容問光曰「朕何如昔時?」對曰「陛下差増於往。」因共偃臥、光以足加帝腹上。明日、太史奏客星犯御坐甚急。帝笑曰「朕故人嚴子陵共臥耳。」
(『後漢書』列伝第七十三、逸民列伝、厳光)


後漢初期の厳光と言う人物は有名な人物で、かつて民間時代の光武帝と学友であったというが、光武帝即位後は姓名を変えて姿をくらましていた。



しかし彼を探させていた光武帝はついに彼を発見し、礼を尽くして彼を迎え入れた。「太官」は皇帝の食事係なので、皇帝の料理人に作らせた料理を彼に運んでいたということだ。




だが厳光がなびく様子は無く、光武帝と同じく彼と旧知であった宰相侯覇にとりなしさせてみたが無駄であった。




ついに光武帝は自ら彼の宿舎を訪れたが彼はベッドから出てくることすらしない。


光武帝はベッドに行き、彼の腹を撫でて「あーん子陵たん、俺を助けてくれないの?」と嘆く。






その後、今度は彼を招き入れて世間話などに興じ、そこで光武帝が訊ね、厳光が返事をする。



「どう?俺変わった?」



「なんか昔より増えたんじゃね?」



何が増えたんだかよくわからないのだが、それを確かめるためと言わんばかりに一緒にベッドに入り、厳光の足が光武帝の腹の上にのっかるという有様だったという。







完全に肉体関係じゃないですか・・・。




まあ漢の皇帝は高祖劉邦以来そっち方面で有名なので、光武帝も当然そっち方面のたしなみがあった、ということでしょうね。