列侯の国号

(何)武更為大司空、封氾郷侯、食邑千戸。氾郷在琅邪不其。哀帝初即位、襃賞大臣、更以南陽犫之博望郷為氾郷侯國、筯邑千戸。
(『漢書』巻八十六、何武伝)

前漢末期の何武は成帝の時に御史大夫から大司空となり、そこで「氾郷侯」となった。



どうやら、「氾郷侯」は琅邪郡不其県の「氾郷」であったものと思われる。




そして哀帝が即位すると、大臣たちを褒賞する一環として、何武の「氾郷侯」の領地をその琅邪郡不其県から南陽郡犫県の「博望郷」に移したが、その「氾郷侯」という国号はそのままにしたという。




つまり「博望郷」は突然「氾郷」になったということになる。




前漢初期の韓王信などもそうだったが、王や侯が国替えをしても国号はそのままにする、という場合があったようだ。