『後漢書』が書いていないこと

昨日のhttp://d.hatena.ne.jp/T_S/20130606/1370445325の続き。




應劭曰「卵大如一二石■也。眩、相詐惑也。訒太后時、西夷檀國來朝賀、詔令為之。而諫大夫陳禪以為夷狄偽道不可施行。後數日、尚書陳忠案漢舊書、乃知世宗時犛靬獻見幻人、天子大悦、與倶巡狩、乃知古有此事。」
(『漢書』巻六十一、張騫伝注)

昨日の話で安帝がダルシムに技を披露してもらったことを陳禪という人物に水差しされたのを尚書陳忠が反論していたが、応劭先生によればどうやら陳忠の反論は古のことだけを持ち出したわけではなかったらしい。


陳忠は『漢書』を調べ、武帝の時にも献上された幻術師の技を披露させ、巡狩にも同行させたという前例があるということを突き止めて反論していたようなのだ。




後漢書』がなぜその部分を落としたのかはわからないが、陳禪の水差しが投獄までされることになった背景には「漢の武帝もやっていたことを否定した」というのがあったんじゃないだろうかと思わないでもないので、落とさないでほしかった気がする。