都亭侯

(霍)諝與尚書令尹勳數奏其事、又因陛見陳聞罪失。及(梁)冀誅後、桓帝嘉其忠節、封鄴都亭侯
(『後漢書』列伝第三十八、霍諝伝)

後漢の霍諝は桓帝のお気に入りとなり、「鄴都亭侯」に封じられたという。



つまりこれは魏郡の「鄴」という城塞都市の「都亭」(城塞内の亭)の領主になった、ということだろう。




思うに「都亭侯」はこのように本来どこか具体的な都市名が指定され、そこの亭の侯とされていたのだろう。



三国志』などでは都市名が記された例の記憶が無いが、省略されているだけなのだろうか。