ちょっとした補足

そういえば「『漢書武帝紀を読んでみよう」では『史記』の本紀に触れていなかった。



孝武皇帝者、孝景中子也。母曰王太后。孝景四年、以皇子為膠東王。
孝景七年、栗太子廢為臨江王、以膠東王為太子。
孝景十六年崩、太子即位、為孝武皇帝孝武皇帝初即位、尤敬鬼神之祀。
元年、漢興已六十餘歳矣、天下乂安、薦紳之屬皆望天子封禪改正度也。而上郷儒術、招賢良、趙綰・王臧等以文學為公卿、欲議古立明堂城南、以朝諸侯。草巡狩封禪改曆服色事未就。會竇太后治黄老言、不好儒術、使人微得趙綰等姦利事、召案綰・臧、綰・臧自殺、諸所興為者皆廢。
後六年、竇太后崩。其明年、上徴文學之士公孫弘等。
(『史記』巻十二、孝武本紀)


史記』孝武本紀(今上本紀)は、上記に挙げた形で始まり、基本時系列には沿っているものの他の本紀や『漢書』本紀とは少々違った感じで進んでいくため、『漢書』との比較がとてもしにくいと思われたので触れなかった。



ちなみにこの孝武本紀は『史記』封禅書から内容を取ってきたのだといったことも言われているので、興味のある人は比べてみてほしい。