封禅のゆくえ

天子既已封泰山、無風雨災、而方士更言蓬萊諸神若將可得、於是上欣然庶幾遇之、乃復東至海上望、冀遇蓬萊焉。奉車子侯暴病、一日死。
(『史記』巻二十八、封禅書)


昨日の記事の続き。



泰山での封禅を終わらせた漢の武帝は、封禅の際に風雨などの災害に遭わなかった。


このことがことさらにアピールされるのは、そうではない例があったからだ。


始皇之上泰山、中阪遇暴風雨、休於大樹下。諸儒生既絀、不得與用於封事之禮、聞始皇遇風雨、則譏之。
(『史記』巻二十八、封禅書)


秦の始皇帝が封禅を挙行した時は、暴風雨に遭遇していた。

そして儒者はそれを謗ったのだという。
おそらく「暴風雨に遭うという事は天に認められなかったのだ」といったようなことを言われたのだろう。



だから、武帝にとっては封禅をつつがなく終わらせることは大変重要なポイントだったのだ。




そこで「封禅の時に見つけた璽印石なくしちゃったテヘペロ」と言われたのだから、そりゃあつい殺しちゃったりもするだろう。
このことを裏でまたdisられることになっちゃうから。