姫君の殺人

千乘令劉慶忌為宗正、六月坐平都公主殺子貶為遼東太守。
(『漢書』巻十九下、百官公卿表下、鴻嘉元年)

産一男一女、女為平都公主、男為定陶恭王。
(『漢書』巻九十七下、外戚伝下、孝元傅昭儀)


前漢成帝の時、皇室劉氏の管理を担当する大臣の宗正劉慶忌は、平都公主が子殺しをしたという事件の責任を取らされる形で遼東太守に左遷された。



平都公主の事件について詳しい事は分からないが、『漢書外戚伝の記事からすると平都公主というのは元帝と傅昭儀の間の子、哀帝の伯母に当たるらしい。


子殺しということは平都公主にはそれなりの地位の夫がいたはずだが誰なのか今の所不明。