ふと思った

昨日までの皇太后などの記事を考えていて思ったが、皇帝に実子が無くて傍系から養子を取るときにほぼ確実に問題化する「実父・実母をどう扱うか」について考えうる最高の対策(少なくとも皇帝はそう考えた)が魏の明帝が斉王芳らを子として迎えた時の方法なのかもしれないな。



実父や実母が誰であるかが皆よくわからないなら、実父・実母に皇帝・皇后と同等の追尊をしようにもできないわけだ。





そうだとして、それが政策として成功だったのかという点についてはまた別に考えないといけないだろう。