皇子の謎

そういえば、曹叡こと烈祖様の不思議な点としては、ほんの数年前に生まれた皇子がいて、しかもかなり後宮を充実させていたという話も残るというのに、年齢がまだ30代前半かそこらで実子ではない斉王芳・秦王詢を皇子としていた(死ぬ4年前の青竜3年)、というのがある。



まあ皇帝がいつどうなるか分かったものではないという点で早めに手を打ったというのは分からんでもないが、健康体で何人か実子もいたはずの皇帝であることを考えると、のちのち実子が生まれたら劉封劉禅みたいな少々めんどくさい関係が生じてしまうこと確実なので、正直かなり思い切った決定だったんじゃないだろうか。




既に実子が生まれるか(育つか)わからないと何らかの根拠をもって諦めていたのか、自分自身の体調に不安を感じていたのか(数年後に実際に死ぬワニなわけで)。




その養子斉王らの由来が分からないという陳寿三国志』の記述も含め、不思議なことだらけである。