廷尉を裁く者

蔡質漢儀曰「正月旦、百官朝賀、光祿勳劉嘉・廷尉趙世各辭不能朝、高賜舉奏『皆以被病篤困、空文武之位、闕上卿之贊、既無忠信斷金之用、而有敗禮傷化之尤、不謹不敬!請廷尉治嘉罪、河南尹治世罪。』議以世掌廷尉、故轉屬他官。」
(『続漢書』志第二十五、百官志二注引『漢官典職儀式選用』)


後漢代、正月元日の朝廷の儀礼の中で光禄勲と廷尉が朝会に出られないなどと言い出した。

高賜という者がその二人を弾劾し、光禄勲劉嘉については廷尉府で罪を取り調べさせ、廷尉趙世については河南尹で罪を取り調べさせるようにと上奏した。


廷尉府でその親玉廷尉を取り調べさせるわけにはいかない、ということらしい。




余談だが、高賜は何者なんだろうか。
ちゃんと調べればわかるのかもしれないが。

荊州刺史李固)上奏南陽太守高賜等臧穢。賜等懼罪、遂共重賂大將軍梁冀、冀為千里移檄、而固持之愈急。冀遂令徙固為太山太守。
(『後漢書』列伝第五十三、李固伝)

同名の人物が南陽太守をしていて荊州刺史李固に弾劾されており、しかも大将軍梁冀とのつながりが確認できる。

これが上記『漢官』の者と同一人物だとしたら、『漢官』に見える光禄勲・廷尉弾劾事件も何か大将軍梁冀の意を受けたものだった可能性もある。