過去・現在・未来

以前、こんな記事を上げたことがある。


一部重なるが敢えてもう一度記す。



是時潁川鍾元為尚書令、領廷尉、用事有權。弟威為郡掾、臧千金。
(何)並為太守、過辭鍾廷尉、 廷尉免冠為弟請一等之罪、願蚤就髠鉗。並曰「罪在弟身與君律、不在於太守。」元懼、馳遣人呼弟。
陽翟輕俠趙季・李款多畜賓客、以氣力漁食閭里、至姦人婦女、持吏長短、從膻郡中、聞並且至、皆亡去。
並下車求勇猛曉文法吏且十人、使文吏治三人獄、武吏往捕之、各有所部。敕曰「三人非負太守、乃負王法、不得不治。鍾威所犯多在赦前、驅使入函谷關、勿令汙民間、不入關、乃收之。趙・李桀惡、雖遠去、當得其頭、以謝百姓。」鍾威負其兄、止雒陽、吏格殺之。亦得趙・李它郡、持頭還、並皆縣頭及其具獄於市。郡中清靜、表善好士、見紀潁川、名次黄霸。
(『漢書』巻七十七、何並伝)

前漢末、王莽の頃のこと。



漢王朝尚書令であった潁川の鍾元は廷尉を兼ね、権力を持っていた。



その弟の鍾威は地元潁川郡の役所に就職して汚職に手を染めていることが発覚していた。





そんな折に潁川郡の太守となった何並は、鍾元から「弟の罰を軽くしてやってくれ!頼む!ちゃっちゃと頭を剃って刑徒にでもしてやってくれ!」と頼まれた。


つまり、普通ならもっと酷い罰を受けるはずだが、なんとか太守が独断でもっと軽い罰にしてくれ、ということだ。



だが何並は「弟さんの罰は弟さん自身と廷尉であるあなたによって決まることで、私には決められませんよ?」と答えた。


つまり鍾威はちゃんと中央に送るからね、ということだ。


こうなると、鍾元が自分の権限で罰を軽くしてしまったら逆に自分が弾劾されかねない。




ヤバいと感じた鍾元は鍾威にすぐ都へ来るよう命じた。


多分、都に潜伏した方が何並は権限が及ばず捕まりにくい、といった計算があったのではないだろうか。




しかし鍾威はそんな兄の考えが分からなかったのか、洛陽でボヤボヤしているうちに何並が発した追手に捕捉され、抵抗した挙句殺されたという事である。



大した悪徳兄弟であった。





潁川・・・鍾氏・・・あっ・・・(察し)






遠い過去の先祖らしき人、そして同じ血を引く子孫や親戚、みんな同じような畜生というあたり、なんかこうファイブスター物語っぽくてイイね!