三つ子の魂

不舉併生三子。俗説、生子至於三、似六畜、言其妨父母、故不舉之也。
謹案、春秋國語「越王句踐、令民生二子者、與之餼、生三子者、與之乳母。」三子不能獨養、故與乳母、所以人民繁息、卒滅強呉、雪會稽之恥、行霸於中國也。古陸終氏娶於鬼方、謂之女嬇、是生六子、皆為諸侯。今人多生三子、子悉成長、父母完安、豈有天所孕育而害其父母兄弟者哉。
(応劭『風俗通』佚文)


『風俗通』より、三つ子忌避について。


当時の世俗の風習では、三つ子は家畜のようであって父母の妨げになるので取り上げなかったそうだ。


応劭はこれに対して「越王句踐は双子が生まれると飯を与え、三つ子が生まれると乳母を与えてやった。お蔭で民が増え呉を滅ぼし覇となることもできたのだ。陸終氏の奥さんも六つ子を産んだがみんな立派に諸侯になった。今の人間も三つ子を運でも子供はみんな成長し、父母も元気だ。どうして天が子供を産ませるのに父母や兄弟を害することがあるだろうか?」と述べてその風習を批判している。



三つ子は忌避される、ということは当時は双子はそこまで忌避されていなかったようだ。